理容歴史
理容業の前身である「髪結床」が町中に見られるようになったのは、室町時代末(16世紀中期)の京都だそうです。このころの男性は頭頂部を月代にしていた。なんと当時は剃刀がなかったので、血を出しながら抜いていたらしい・・・(「イタソ~~~」)。剃刀が普及されたのは豊臣秀吉が太閤になった天正時代(1573~1592)の後半ごろ。月代を剃刀で作り、後頭部は鋏と櫛を使って整えていた。
江戸時代になり生活が安定してくると江戸・京都・大阪を中心に髪結い床が全国へ広がってくるんだ。町内に店舗を構えて営業するものは「内床」、店舗を持たずに得意先などをまわるものを「出床」とよんだ。1800年代半ばまで行っていた「お歯黒と掃眉」が禁止されると月代が否定され始めて、いわゆる散髪が主流となる。後半には現在のサインポールなどが標識となり髪結い床から「散髪店」がどんどん増えていく。
しかし戦時中は男性が理容業へつくことが禁止されたり、ドライヤーなどの金物もお店から姿を消していき、ファッションも決められたスタイルのみと、理容業として空白の時代が続く。終戦後は職業の自由化も進み理容師も増え始めた。ファッションも選択式のスタイルから、個性あふれる自由化が進んでやっと今のような個性を作る場=理美容室となった。同時に感染症等の法律や保健所の指導等により消毒や洗髪による公衆衛生も整備され、安心して利用できる現在の理容業となっている。
昔の人はヘアスタイルを作るにも痛い思いをして作ったり、作っても決まったスタイルしかなかったんだね・・・もっといろいろなスタイルを楽しまなきゃ!!